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金沢大学附属病院 精神科 私の抱負 三邉教授

平成二十六年度 巻頭言


還暦を迎えて、我が青春時代のミニ回顧録;平成26年度同窓会年報の巻頭言に代えて 

同窓会会長・金沢大学教授 三邉義雄



同窓会会員の皆様にはいよいよご清栄、ご健勝のこととお慶び申しあげます。平成25年は、私が金沢大学にお世話になりまして8年目の年でございました。会員の皆様のご助力ご支援に対し、誌上にて改めて心よりお礼申しあげます。主任教授の最大の務めとしては、主に臨床のための人材と主に研究のための資金の獲得、さらにそれらに支えられた医学教育の充実であることを引き続き肝に銘じ、定年まで残り5年間を一層精進致したいと思います。さて、私事で恐縮でございますが平成25年は我が還暦の年にも当たりましたので、毎年の硬い?巻頭言とは一変させて頂きました(笑い)。肝腎の仕事の回顧は別の機会にさせて頂き、今回はすべて若き日のオフの話題に限定にさせて頂きました無礼を、あらかじめお詫びいたします。

私の青春時代のハイライトは、何と言っても金沢大学での6年間(昭和47年、1972年入学)と精神科大学院での4年間(昭和57年、1982年修了)、計10年間であった。その前は受験中心の高校生活、その後は民間病院への勤務と子宝を得ての結婚生活であった。当時は日本がバブル前の高度成長期であったが、それなりに世相に浮き沈みはあったと思う。ただ学生の分際でもありそのことが大きな悩みの種とはならず、結果、現在と比べても恵まれた時代だったかもしれない?

まずスキー、野球、スキューバダイビングを始め、テニス、(医学部クラブでの)バドミントン、ジョギング、水泳、などスポーツからみの思い出が多い。スキーは、大学教養部時代に行った志賀高原での1週間合宿でハートに火がつき、その後は晩秋になり医王山が雪化粧するだけで興奮してくるという有様であった。 近くに手軽に行けるスキー場が多くあり、日曜日午前にスキーをして午後は下宿でのんびり、という贅沢ができたのは地の利であろう。同級生数人と早朝に急行“白馬”(その頃は、金沢・松本間に直通急行があった)に乗り、地元でレンタカーを借りて1週間白馬山麓のスキー場を日替わりで滑るのは、本当に楽しかった。特に、晴天の八方尾根スキー場で白馬岳を見ながらコブコブの大急斜面を滑る爽快感は、圧巻であった。また、山岸君(現 金沢大学第2内科教授)ら同級生とバスツアーを企画し、応募した女性軍も満載で行った野沢温泉スキー場も思い出である。テレビでは、その頃一世を風靡した、“雪上の貴公子”スウェーデンのステンマルクの滑りに熱狂した。寒さがとにかく嫌な現在は、もうスキーに行く気は全くなく、ただただなつかしい思い出でです。

野球は、これも同級生と学生チームを作り、草野球の対外試合を医学部グランド(現在の医学部立体駐車場の場所)などで沢山した。その後も金沢大、富山大、国立精神神経センター、高松病院、浜松医大の精神科野球チームでも、対外試合や遠征試合などを沢山した。浜松医大チームの先発投手としてロッテマリンスタジアムのマウンドに上がり、千葉大とナイター試合をして大勝したのは、特に良い思い出だ。野球は、“あの”米国が生んだ最も偉大な文化遺産の一つ、という意見に賛成です(笑い)。現在は、金沢大学脳外科野球チームの練習にたまに参加したりして細々と続けているが、湖南グランドでのナイター練習で見る美しいカクテル光線に、改めて感動している。

スキューバダイビングは精神科に入り、1年下の烏帽子田君(現 広島大学公衆衛生学教授)がインストラクター資格を持っており、彼に指導を受けながら開始した。和田先生(現福井大精神科教授)ら医局員数名でボンベを積むスキューバダイビング専用車を購入し、週末には越前海岸に通い経験を積んだ。その後、沖縄、グアム、モルジブなどにも医局員仲間らとツアーに行った。スキーの大急斜面滑降と同様、水中での浮遊感と回遊魚が泳ぐ雄大なサンゴ礁パノラマは、他では味わえない魅力である。ツアーでは朝から晩までスポーツに興じ、夜はくたくた(ただし、実に爽快な疲労感、まさにこれぞ青春!)なのは、スキーもスキューバダイビングも同じである。結婚後は一切やめてしまったが、今でも広瀬君(福井でクリニック開業)や福田君(旧姓は金君、富山の天晴グループ理事長)ら当時の仲間と会うと、“また南の島に一緒に行こう!”と声をかけあうが、もし実現しても定年後にお互い気力と体力があればのことであろう、トホホ。

洋楽好きになった最初のきっかけは、1967年のプロコルハルムの“シャドウ オブ ぺイル(邦題は、青い影)”である。私と同年代の松任谷由美も同じことを言っておられたが、半世紀近くたった現在でも“新鮮さ”を感じる、音楽は本当にすばらしい。60年代後半から80年代初めまでは、洋楽はアップテンポ主流で、巷では軽快なビートにのったデイスコ全盛であった。私も含め学生時代は週末毎にデイスコに通う仲間が多かったのは、いろいろな理由があるだろうが、比較的安く長時間楽しめるのも理由の一つだったと思う。そのブームのピークは、1979年の映画“サタデイ ナイト フィーバー”(日本語訳は熱狂的週末だろうが、当時の中国語版タイトルは週末的熱狂であったのが、印象深い!)であり、映画の中のビージースのサウンドが、今でも人気があるのはうれしい(が、中心メンバーのギブ3兄弟のうち、既に2人は既に他界した)。そのようなあわただしい世相の中で、やや低めの安定した女性ボーカルで癒し系の活躍をしたのは、カーペンターズである。1970年に“クロース ツー ユー(邦題は、遥かなる影)”でデビューし、カレン・カーペンターが1983年に摂食障害で死去したので、まさに私の青春時代との御縁はぴったりであった。現在は、米国のネットラジオ局が流す、その70-80年代の曲が満載・ノンストップで流れるソフト&イージー・プログラムがお気に入りで、自宅や教授室で聞いて適宜(笑い)リフレッシュしている。

さて、それまで楽しむのは洋楽一本の私を変えさせたのは、1978年にデビューしたサザンオールスターズである。その年に私は医学部を卒業したので、私の職歴はまさに、“サザンと歩いた35年”である。(桑田佳祐に象徴される)オリジナリテイーが、長い人気と高い評価の秘訣だと思う(まさに、学術研究と同じ!)。現在はたまに行くカラオケでも、“青春のあの頃”の洋楽と桑田サザンが、あいかわらず私のメインです(笑い)。

以上、長々と駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。引き続きの御指導、御鞭撻を、改めてお願い申し上げます。





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